「第84回:文転したからこそ見える世界 ー研究は自身の「興味」が広げるー」

飯田 豊 Yutaka Iida

産業社会学部 教授

【研究テーマ】
1.初期テレビジョンのメディア考古学
2.メディア論の系譜
3.メディア表現とリテラシーに関する実践研究
4.技術思想としてのアマチュアリズム
【専門分野】
科学社会学・科学技術史, 社会学 (キーワード:メディア論、メディア技術史、文化社会学、メディアリテラシー) 
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インタビュー:学生ライブラリースタッフ 三好・藤岡・坂根

飯田先生の研究テーマや研究分野について教えてください。

 専門分野はメディア論・メディア技術史・文化社会学の3つを併置していますが、歴史研究が主軸です。最近ではメタバースなど最新技術に関して論じることもありますが、それについても、これまでどのような発展や失敗などの経緯があったのか、という歴史的な視点に立ってものを考えるので、立場は一貫しています。特にメディアの歴史の中でも、技術の歴史ですね。テレビであれば番組自体ではなく、その受像機やカメラに注目します。ラジオも同じです。無線機や受像機などのモノの歴史を軸にして、メディアのこれまでの在り方、そしてこれからを考えるのが基本的な研究スタンスです。

 これに加えて文化社会学を掲げているのは、メディアと文化が非常に深い関係にあり、単に技術のことだけでは説明がつかず、メディアの内容と形式は不可分だからです。たとえば、メディアが変わると都市の在り方も変わることがあります。つまり、これまでは都市の中で起こっていた現象が、メディアやインターネットの中に置き換わるようになっていくことがある。そうするとメディアの研究をしていても、都市にも目を向けなければ、今起きている現象の総体は説明できないということになります。都市社会学や地域社会学とも関わりますが、総体としては文化のことを考えているので、文化社会学という肩書きを使っています。

 要するに、あくまでメディアに対する関心が極めて強いので、その関心のありようをカバーするキーワードとして、この3つを併置して使用しています。

飯田先生は学生時代に文転(※理系から文系へ転向すること)をされていますが、その経緯に関して教えてください。

 高校生の頃から文系・理系のどちらに進むか悩んでいましたが、最初に理系を選択した理由は高校の時にパソコンにはまったことが一番大きかったです。パソコンを買ったのは1994年のことで、まだインターネットは普及していませんでした。中学時代に友達の家でパソコンゲームを体験して面白いと感じ、高校生になったときに貯金を下ろして購入しました。コンピューターに対する漠然とした関心から、理系の中でも「情報系」に関心が向き、それに加えて最先端の研究ができる分野は何だろうかと考えたときに、「ロボット」が面白いのではないかと思いました。ものづくりの要素もあり、プログラミングも学べることに、分野としての”お得感”を感じて、工学部の機械情報工学科に進学しました。

 しかし、ロボットの普及にはいろいろな課題があります。大学に進学してから25年が経ちましたが、ルンバなどはある程度普及しているとはいえ、今でもなお、私たちの身の回りにロボットはそんなに多くありません。普及に向けて多くの課題があることが分かってきたので、徐々に開発することよりも、社会がどのように技術を受け入れてくれるのかという、いわば技術と社会のインターフェースについて本気で研究したいと考えるようになりました。そこで大学院では文系に転じたのですが、工学部を卒業したことが活きるような研究をしようと考えました。

 文転を考えた当初は「技術」をキーワードに研究テーマを模索していましたが、「メディア」という言葉のほうが、ロボットも含めて自分が研究したい対象を言い当てている、と気づいたんです。メディアは技術的な産物ですが、同じ技術でもそれをどう使っていくかは、国や文化などの社会的属性の違いにも左右され、メディアとしての様態が決まっていくものなので。こうしてメディア論が面白いと感じるようになり、本格的に大学院で研究しようと思いました。

飯田先生は高校生や大学生、院生の頃、どのような学生でしたか。

 高校の頃はパソコンに夢中で、まだ「ラノベ」という言葉はなかったと思いますが、ファンタジー小説を読み漁ったりしていて、典型的な文化系オタクでした (笑) 。とはいえ、今にして思えば、地元が田舎だったのでパソコンに関する知識を豊富に得られるような状況ではなかったですね。高校3年間、家と学校と塾のあいだを行き来し、空いた時間にそのような趣味に没頭していました。

 1997年、大学に入って上京すると、環境がガラッと変わりました。インターネットが普及している今と比べて、地方と都市で情報の質や量に圧倒的な差がありました。地元では受容できないミニシアター系の映画、小劇場演劇、現代美術やメディア・アートなど、足を運んで体験できる文化が溢れていました。また、大学時代はBillboard研究会というリスニング系の音楽サークルに入って、Billboardチャートに入っている曲を片っ端から聴いていました。サークルのメンバーでライブやクラブに行くようになり、文化系ではあるけど、高校の頃とはまた違う文化にハマりました。音楽を皮切りに、アートやデザインなど文化的なもの全般に、大学3年くらいから徐々に興味関心のウィングが広がっていきました。

学生時代の図書館の利用に関して質問ですが、特に文転されたということもあり、図書館の利用に変化があったのではと思います。その点も踏まえて、どのように利用していましたか。また、現在の平井嘉一郎図書館に対して何か感じることはありますか。

 趣味に関する本やCDをよく公共図書館で借りていましたが、工学部時代の研究に関しては正直、図書館を利用した記憶がないんですよ。研究に必要な本や雑誌は研究室に揃っていたので、卒業研究のために図書館に行く、という経験はほとんどありませんでした。

 その一方で元々、文系の学問に対する関心が大学1年生の頃から強かったです。理系であっても文系の教養科目を履修しなければなりませんでしたが、その中にメディア論の授業もありました。その時は「面白いな」くらいの感想でしたが、3年生になってロボット工学を本格的に勉強するようになると、自分がそれまでに学んだ文系的な知とどのように結びつけて考えることができるかが気になってきました。でも、自分が所属しているのは機械情報工学科なので、そんなことは誰も教えてくれないんですよね。そうなると図書館などで本を読んで、独学で学んでいくしかない。難しい本は斜め読みするしかありませんでしたが、気になったものは手あたり次第に読み漁りました。特に大学4年生になると、次の進路を考えて色々と読みました。当時、ネットはそれなりに普及していたものの、有益な情報を手に入れるのは今ほど容易ではありませんでした。Wikipediaもまだなかったですしね。この学問分野であれば、まずはこの人の本を読むといい、といった基礎知識もないので、暗中模索でした。OPACで検索した本を探しに行って、その本と同じ棚に入っている本は片っ端から目を通すということをしていました。

 他の先生もおっしゃっているかもしれませんが、開架の図書館で本を探すという経験は非常に重要です。平井嘉一郎記念図書館には自動書庫が導入されていますので、閉架の割合が高いのが残念ですが、それでも開架図書も十分に充実していますし、修学館リサーチライブラリーの書庫には頻繁に入り浸っているので、そのような本の探し方は今も変わらないです。その一方、平井嘉一郎記念図書館にあるアクティブラーニングやピアラーニングの設備は、僕が大学生だった頃の大学図書館には存在しなかったので、それは率直に羨ましいと感じます。

先生の研究活動の中で、影響を受けた本があれば教えてください。

 メディア論という学問領域に出会ったのが2000年頃のことです。今でこそ「メディア」という名のついた学部や学科が多くありますが、そのころは学際的で新しい領域でした。社会学に似ているけど少し違うものの考え方があるんだということを知るきっかけになった本が、『デジタル・メディア社会』(水越伸著,岩波書店,1999)です。

 その後、この先生が書いているものが面白いなと感じ、色々と調べていく中で、放送大学の『メディア論』のテキスト(吉見俊哉・水越伸著,放送大学教育振興会, 1997)がとてもよくまとまっていて、刺激的でした。授業で使うことを前提にして作られている教科書なので、後年、自分が授業を担当することになったさいはネタ本として活用し、ボロボロになるまで使い込みました。2018年以降、僕も放送大学の授業を担当していますが、過去の授業や教科書が抜群に面白いだけにプレッシャーが大きいですね……。

立命館大学の学生に関してですが、直接学生とコミュニケーションをとる中で、インターネットと学生の関係性について間近で見ていて何か感じることはありますか。

 僕が立命館大学に着任した10年前は、多くの若者がSNSで違法行為を得意げに暴露していることがセンセーショナルに報道されたり、学校内ではLINEを介した人間関係のトラブルが問題化したりしていました。多くの学生がインターネットに対して無防備だったし、マスメディアとインターネットを二項対立的に捉えて、ネットの方が新しくて面白いという期待感や、或いは上の世代はネットに疎くて若い自分たちの方がよく知っているという優越感などが、まだ強かったと思います。ただ10年のあいだに状況が大きく変わったと感じています。今の皆さんにとっては、物心がついた頃からそうした問題が当たり前のように存在していたので、ネットに対してそれほど大きな期待を持っていないのではないでしょうか。ネットが利用者のつながりを育むばかりでなく、むしろ分断を促す特性があることを、中学生や高校生の頃からスマートフォンを使いこなしている世代は、経験的に知っています。SNSは誹謗中傷や炎上、オンライン・ハラスメント、女性やマイノリティに対するマウンティングなどで殺伐としていて、若者は過度な期待を持っておらず、醒めた意識が高まりつつあるように見えます。SNSの利用者人口が増加することにより、ネットは社会そのものの縮図になっています。

 殺伐としたネットの状況の中で育ってきたのが今の大学生なので、良くも悪くもネットにそこまで期待が無いし、逆に言えば賢くネットを使っている印象は強いです。学生同士のネット上でのトラブルも少なくなったし、SNSを利用する学生の多くが、自分のアカウントに鍵をかけるようになりました。安全に利用している反面、非公開設定では経験できないことも多いので、本当に良くも悪くもですが……。そういう意味でのリテラシーというか、分別をもってネットを使い、堅実で真面目にうまくネットを活用している人が多い気がします。

飯田先生の研究はそのインターネットやメディア技術などに直接面していると思いますが、先生の研究活動の中でインターネット技術の進化や変化を体感されることはありますか。

 歴史研究をやっているので、オンラインデータベースやデジタルアーカイヴの恩恵はかなり感じています。国立国会図書館でも学生時代は、書庫から出してほしい本があれば、鉛筆で用紙に記入して窓口に提出して……という手続きが必要でしたが、今では館内のパソコンや自分のスマホからも申込みができるようになり、以前では1日がかりだった調べごとが今では1時間でできてしまうくらいで、格段に効率が良くなりました。技術の革新によって歴史研究の敷居は格段に下がったし、僕自身、余命は減っているはずなのに、生きているうちにできそうなことはむしろ増えていっている気がしています。

 ただ、裏を返せば、昔は卒業研究として1年がかりで取り組んでいた論文がたった1ヶ月でできてしまう、あるいは昔は1週間を要していたレポートが2時間で書けてしまうということでもあるので、ハードルが上がってしんどい面があるとも思います。でも本当に環境が良くなりました。

大学の授業がコロナによってオンライン化したことなど、日常生活の中でコロナによる変化があったかと思います。先生の研究活動の中で何か変化や影響はありましたか。

 当初はコロナで外に出られないなら、研究はとにかく文献ベースでやっていくしかない、と思っていました。家にこもって論文や本をひたすら読むということですね。ゼミも同じで、グループワークが難しいから文献講読を中心に進めなければ……って思っていたんですが、そう感じていたのはzoomが定着していなかったからで、それから2年のあいだに、少なくとも僕自身の研究は真逆になり、コロナ前よりも聞き取り調査をたくさん行うようになりました。

 オンラインで聞き取り調査が手軽になったということに加えて、もうひとつ考え方の変化がありました。聞き取り調査は、音声データの文字起こしや調査対象者の原稿チェックなどの手間がかかることに加えて、少なくとも歴史研究にとっては、調査対象者の記憶に頼るということは情報の正確性にも不安が残ってしまうので、なかなか乗り気にならず、文献調査に比べて得意でもないので、聞き取りの重要性を感じていても「そのうちやろう」と逃げているところがありました。ただ、コロナになって人に会えなくなると、先延ばしなどと言っていられない状況になり、会ったときに話を聞かないと次はないかもしれないとさえ思うようになりました。人に会うときの覚悟というか、調査対象者との向き合い方が変わりましたね。コロナ前であれば、初対面の時はとりあえず仲良くなることだけを目的に、そして次に会うときに初めて録音や録画をするという手順で進めることがありましたが、コロナになってからは、たとえ初対面であっても、貴重な時間を最大限活用してとにかく記録を取らなければ……というように、気持ちが前のめりになったことが、僕自身の変化としてかなり大きいです。

最後に、学生に何かメッセージや伝えたいことがあればお願いします。

 産業社会学部の学生しか見ていないので全学的な傾向は分かりませんが、コロナ前であれば、卒業するまで一度も使う機会がなかったかもしれないVPN接続などが、オンラインだからこそ利用されていて、家からでも図書館データベースが活用されているのは良いことだと思います。レポートや卒論の形式も以前より整っていて、高いクオリティの文章が書けている学生が多いと感じます。その反面、学生がアクセスする情報が割と似通ってしまっていて、たとえば、新聞データベースでバックナンバーを記事検索して、情報を整理すると手堅い論文を書くことはできますが、良くも悪くも小さくまとまってしまっている調査が多い印象もあります。

 特に卒業研究に関してはもっと型破りというか、各自の個性や経験を活かした研究がもっとあってもいいのではないかなと思っています。

飯田先生、ありがとうございました。

紹介する書籍

デジタル・メディア社会 / 水越伸

メディア論 / 吉見俊哉, 水越伸

メディア論 / 水越伸編