「第91回:「人間」という存在の未来を考える」

宋 基燦 SONG KICHAN

映像学部 准教授

【研究テーマ】
1.「視覚」に関する人類学的理解
2.在日コリアンの民族教育に関する映像アーカイブ構築
3.在日コリアンの民族教育実践に関する人類学的理解
4.在日外国人の生活と人権
5.身体論的アイデンティティポリティクス
【専門分野】
文化人類学・民俗学, 社会学, 教育社会学 (キーワード:エスニシティ、マイノリティ、アイデンティティ、在日コリアン、民族教育、社会人類学、映像人類学、日韓関係) 
詳細はこちら

インタビュー:学生ライブラリースタッフ 原田・JEON・田中

先生の研究テーマや研究分野について教えてください。

文化人類学、その中でもエスニックマイノリティに関する研究をやっています。

具体的には、日本におけるエスニックマイノリティ集団である在日コリアンの方の民族教育などのアイデンティティに関わる研究をしています。

そういったエスニシティの分野に興味を持たれた理由は何だったのでしょうか。

私は韓国の大学で修士課程を修了し、博士課程から日本に来ました。韓国では兵役に行かないといけないのですが、私のたまたま配属された部隊は北朝鮮関連の情報に関わるような所でした。そこで当時の脱北者たち、北朝鮮から38度線を越えてきた人たちに関する情報に触れ、この方たちがこれから韓国社会でどのように生活するのかすごく気になっていたんです。それで大学院に進学する際に脱北者のアイデンティティを一つのキーワードをとして研究してみようと思いました。しかし脱北者研究を進めることは研究倫理に関わる様々な問題から容易に進めることはできないと判断し、研究テーマを変えることになりました。

その時偶然、私の指導教員の先生が日本で知り合いの方と一緒に、北海道で第二次世界大戦中に強制動員されて犠牲になった方の遺骨を発掘するというようなワークショップを組織されたんです。そこに参加することになって初めて、在日コリアンの方に出会いました。そこで出会った方たちが大阪で民族学級という民族教育運動をされている方で、その方たちとの出会いが私の修士論文のテーマ(在日コリアンのコミュニティについて)決定の決め手となりました。そして、民族教育の現場を調査するために日本でフィールドワークをしないといけない、フィールドワークをするためには日本語を勉強しないといけない、ということで、8ヶ月ぐらい勉強してたどたどしい日本語ができるようになってから、大阪にフィールドワークに来ました。そこではある小学校の民族学級という現場で3ヶ月ほど調査を行ったのですが、修士論文を書きながら、やっぱり私はこのテーマをもうちょっと掘り下げてみたいと思いました。それならばやはり日本に留学に行くべきではないかということで留学を決意し、今に至っています。

先生の専門分野が文化人類学、エスニシティ、民俗学ということで、一見映像学部の学びとどのような関係があるのだろうと感じてしまうのですが、映像学部で研究されている理由について教えてください。また、映像人類学とはどのような学問なのですか?

まず映像人類学というもの何かというところから説明しましょう。非常に広く言えばあらゆる映像が研究対象になりうる人類学、と定義することができますので、例えば映画も一つの映像人類学のテキストになりえます。一方で非常に狭く言えば、文化人類学というのはフィールドワークをして、そこから得た情報をエスノグラフィー[1](訪問観察調査)という形で書き換えて出すものなので、それを文字ではないフィルムエスノグラフィーという形で作るというのが映像人類学の非常に狭い定義です。

映像学部における映像人類学は5つの教学ゾーンのうちの「社会映像ゾーン」にあって、映像に関わる文化的なところを担っているのですが、研究をしながらフィールドワークもして、その様子を映像で作るということを目指しています。例えば、先ほどまで研究室に来ていた中国人の留学生は中国にあるとある朝鮮文化について研究していますが、それを卒業研究の映像作品としても作っていて、そういうものがいわゆるフィルムエスノグラフィーですね。それらが、私が映像学部の教学で関わっている映像人類学です。

しかし私はいわゆる映像人類学者と言えるような立場ではありません。先ほどの自己紹介でも言ったように、専門は文化人類学です。ではなぜ映像人類学に関わっているかというと、私が大学院生の時にアメリカの大学から映像人類学を専門にした先生2人が韓国に来ていました。その先生たちから、フィールドワークの中で映像記録を残して、それを作品にするかどうかはともかく、今までは文字だけで記録していたものを映像の資料を用いて調査をするという手法を初めて習ったんです。カメラを持って現場に行って映像で記録しながら、調査観察をする。あとから自分が撮った映像を振り返ってみる。そうすると、その現場でリアルタイムでは分からなかったようなものが理解できたりする時があるんです。この手法はよいと思い、修士論文を書く時、また博士論文を書く際のフィードバックにもこれを取り入れました。

私が映像学部の教員となった経緯は、映像学部の教学方針として映像を用いた社会調査、つまりフィルムエスノグラフィーの生産だけではない形でのフィールドワークを実施するという話があったようですね。そこからちょっと僕に「応募してみたらどう?」と言う話があって、そこからご縁がありました。


[1] 民族誌(エスノグラフィー)

民族学研究のための資料を収集する学問、またはその成果の記述。

『日本国語大辞典』小学館より

ちなみに先生は学部生時代に考古学も研究されていたということですが、考古学にはまったきっかけは何だったのですか?またどうしてそこから文化人類学に転向されたのでしょうか。

私は、学部時代はほとんど考古学の現場で時間を過ごしていたぐらい考古学に熱中していたのですが、考古学に惹かれた理由としては二つあります。

一つは、私は人文学系の研究や勉強がしたかったのですが、そこにちょっと何かの胡散臭さを感じていました。やっぱり若い頃に学問に対してちょっと偏った理解をすることがあると、実証主義に非常に魅力を感じるようになるのです。だから、人文学が好きでその研究をしたいのだけれども、やはり実証主義[2]的なところの特徴が強い考古学が非常に魅力的に見えたところはあります。もう一つの理由として、考古学に興味を持っていた当時、1989年頃は韓国では学生運動が非常に盛んでした。しかし私は運動をしている学生たちに共感しつつ、どこか一緒にそこへ身を投げて入っていけないような自分がいました。今考え直すと、ある意味では自分が育ってきた環境も少し影響するのかもしれないと思います。そうした視点から見ると、考古学は現実逃避ができて、現代社会の社会問題を直視しなくてもよい学問に思えたのかもしれません。

しかし、そうして逃げていったところで、私は韓国での指導教員で、社会人類学をされている先生に会いました。その先生は別の形で社会の不平等などの問題に取り組んでおられました。私が知っていた社会運動というのは、火炎瓶を作り、火をつけて投げるというような時代だったので、石を投げるようなことが学生運動、社会運動と思っていました。先生はそうではなく、イギリスのように貧困層の教育問題を解決するようなところから始めることで、スタートラインを一緒にし、社会的な不平等を是正しようと取り組まれておられました。これは素敵だと、その先生に影響を受けたことが、考古学の畑から離れ文化人類学の世界に入るきっかけになったと思います。


[2] 実証主義

哲学で、現象の背後に形而上的な原因を求めるような思弁を排して、事実を根拠とし、観察や実験によって実際に検証できる知識だけを認めようとする立場。フランスの哲学者、オーギュスト=コントによって体系化された。神学的段階を通り、形而上学的段階を経たのちに、ようやくこの学問の最高段階としての実証的段階に到達するという。

『日本国語大辞典』小学館より

そうですね、結局は文化資本の差などが格差につながりますよね。大学受験、高校受験の時には本人の努力と言われてきましたが、本当は本人の努力だけでは済まないところもあるのではないかという話は、僕も社会学の分野で聞きました。今までは、自分の努力が足りないからだといったように思い込んだこともありましたが、大学生になってから、それだけでは問題は解決しなさそうだというのは確かに感じました。

ご自身にとって海外の大学で研究をされる中で大変だったこと、もしくは思い出深いエピソードというのは何かありますか?

まあ、忘れられない想い出深いというのは大学院時代に文部省奨学金を逃したことかなと思いますね。

今はいくらぐらい支給されるのか分からないけれど、当時は文部省奨学金というのは世界で一番手厚い支援をしてくれる奨学金だったんですよ。私は奨学金が決まってないまま日本に来たものだから、結構金銭的な面で苦労していました。ことごとく奨学金申請したものがダメになっていたところで、当時京都大学文学研究科から運よく文部省奨学金の推薦を受けることができて。研究活動実績からの推薦ですし、もう絶対取れるだろうと思っていたんですけど、面接の日に寝坊して……。前日にちょっと発表準備などで徹夜して、日にち感覚を失ったところで気を失ってしまい、目が覚めたときにまだ暗いなあ大丈夫と思って、今から準備して出ていこうとしたら、もう夜でしたね。

朝日が昇る前じゃなくて夜だったと。相当頑張っていらっしゃったんですね……。

面接に行かなかったんだからもうどうしようもないということで、1ヶ月ぐらいショックで何も食べることができなかったです。留学生活を続けることができるかどうか結構悩んでいたんですけれど、でもなんとかアルバイト等をしつつ頑張りました。友人の中でその奨学生がいたりすると当時は本当に辛い気持ちになったんですけれども、しかし数年経ったらですね、ちょっと違って見えてきたんですよ。彼らはすごくいい暮らしができるし自分の研究さえすればいいから、日本人とは接しないんですよ。日本社会に入ろうとしないし、日本人と触れ合わないから、日本語がそこから上達しないんです。私は自分で生計を立てていかないといけないから、フィールドワークもバイトもして、日本人と絶えず会話をしました。特に韓国語を教える仕事では、これを日本人にどう説明すればよいか、どう工夫すればいいかということを常に考えて実践していたので、日本語がそれなりに上達しましたね。

……私がもし奨学金をもらっていたら、たぶんなんとか博士号取れたかもしれないけど韓国に帰っただろうし、もしくは博士論文が書けなかったかもしれないし、いろんな目で見てみたら、ああ、あの時にもらわなくて良かったなと思いました。あの時はあの一回の失敗で自分の将来はお先真っ暗だって思っていたけれども、長期的に見たら必ずしもそれが悪いことではないと思うようになりましたね。

先生が学生時代に影響を受けた本について教えてください。

学生時代ではないんですけど、兵役の時に軍隊の本棚になぜか韓国のフェミニストの同人雑誌があって、たまたまそれを遊び半分で読んでみたのですが、それがかなり衝撃的な内容でした。フェミニズムに触れるきっかけだったものですから、今まで自分が考えていた見ていた世界がガラッと変わっていくことを感じました。残念ながら日本語に翻訳されていないので紹介ができないのですが、それがまず印象深い本です。

また私が考古学の世界から文化人類学のほうに転向したときに、日本文化論という授業を受講しましたが、その時にルースベネディクトの『菊と刀』が紹介されました。それもかなり目から鱗という内容でかなりインパクトがあったのを覚えています。

先生は学生時代に図書館をどのように利用されていましたか?

私は学部生時代は考古学の現場にいたので、図書館はあまり、まあ試験期間中にちょっと利用するぐらいでした。日本に留学に来てからは、フィールドワーカーとしてやはり現場に行く方が多いけれども、ワーク以外の日は図書館の書庫によく行きました。書庫本の独特の匂いが結構好きで。あと自分の専門以外のものを見たりするのも好きでした。

図書館には本当に様々な本がありますが、基本的に本というものはパッと見た時にこそ出逢いがある。それが本を探すときの醍醐味だと思います。図書館の書架はそういう場所のような気がしています。いろんな本がある中で偶然出会った本が自分の考えやひらめきにいい影響を与えることがあったりもするので、そういう出逢いや楽しみがある空間ということです。それと非常に本の整理がよくできていて、こんなところにこんな本まであるのかとたまに驚く時もありました。そういうところが魅力的ですね。

ちなみに、韓国の大学は図書館利用率が日本に比べてはるかに高いですが、私の学生時代は図書館で就職のための勉強をしている学生が多かったですね。今考えると大変勿体ないことですが。蔵書数もそんなに多くなかった気がします。だから図書館の機能を利用するというよりは、図書館についている閲覧室を自習室として使うというのが圧倒的に多かったと思います。しかし日本に来てみたら、一定の人たちは同じように自分の自習室として使っていましたが、図書館を図書館として利用している人たちの方が多い気がしました。

学生へのお薦め本を教えてください。

一番難しい質問ですね。(笑い)

一つはですね、映像学部に来てから私は、映像とは何か?と、いうことをいろいろ考えるようになりました。映像は人間という存在と密接な関係があるものだということが自ずと分かってきて、今はこれまであまり読んでいなかった哲学関連の本などにも少しずつ挑戦し、授業にも取り入れたりしています。その中でいわゆる存在、人間存在が認識をする対象として、映像を一つの現象としてどのように捉えているのか、といったことに興味を持つようになったんですね。同時に、映像学部に着任してから顕著な世の中の変化といえば、AIという新しい存在です。AIはいわば新しい人間存在の出現ですね。AIとの付き合いというのがある意味では今までの人間の定義をどのように見てみるべきなのかということへの問題に繋がると思っています。AIと人間との関係性を考えてみるということでは、イスラエルの歴史学者であるユヴァル・ノア・ハラリという人が書いた『ホモデウス』という本をお勧めしたいです。

もう一冊、全然違うもので、人類学以外のジャンルで目から鱗という内容で紹介したいのが『エンデの遺言』という本です。この本は結構スラスラと読める本なのですが、お金という概念に対する別の考え方がでてきて、私たちがなんでこんなに国家中心の中央管理通貨システムの中に縛られているのかということに対してちょっと疑問を持つようになりますし、経済や地域再生にも関わるような内容が書かれていて、もしかしたら地域レベルだったら今のこの世界に与えられている弊害を乗り越えられるような知恵を見出せるじゃないかというような、アイデアを得ることができるかもしれない本です。専門とはあまり関係ありませんが、教養の本としてはこの二冊の本をおすすめできればなと思います。

最後に、学生へのメッセージをお願いします。

古典をたくさん読んでほしいなあと思います。先ほどAIの話をしましたが、Chat GPT はもう使ってみましたか?

私はまだ使ったことはありませんが、周りの人はすごく使っていますね。

そうですか。僕が使ってみたところ、「あー、なるほど」とそれなりの事がわかるし使えるところもあるけど、間違った情報をもとに新しい意味を生成してしまうという問題点も確認できました。 そういう問題もあるけれども、確かにこれがいろんなところで使われるようになるだろうということは否めなかったです。

確かに、今様々なところで使われ始めていますよね。でも今後、私たちの知識がこのようなツールに頼った形で、その場しのぎのような知識に変わる可能性というのがあるんじゃないでしょうか。そして私たちはそういうことに慣れていくと、何も自分で判断ができないような存在になってしまうのかもしれないなと、少し不安です。

私は間違った情報であるかどうかを定める能力がない人間主体たちが増えていく可能性がある中で、これからはいわゆる古典と言われていたものを自分で読んで、それからそれを自分のものにしていったかどうかというところが、人と人の差をつけるようになっていくんじゃないかと思います。古典とは、各学問分野の教科書のようなものもそうですし、時代を超えて読み継がれている作品なども当てはまるでしょう。Chat GPT などによってその場しのぎとしての知識として理解していたものは、もしかしたら長い歳月が過ぎた後は何も残ってないようなものになるかもしれません。それに比べたら古典は、人々の心の非常にディープなところに触れる作品で、読んで自分の魂がえぐられるような気持ちになる作品というものは、時間が経ってもなお人の心の中に残り続けるので、できるだけそういうものに触れる経験を若いうちにするのがいいと思います。皆さんが私ぐらいの世代になったときには今とは全然違う世界に変わっているでしょうし、特に情報機器との関わりについてはその変化は顕著だと思います。けれどもその時代においては、古典に触れた経験、またそれを自分のものにしている人が、ある意味で競争力のある人材になるかもしれないなと思いますね。これはまああくまで私の予測で、今後世界がどう転ぶかはわからないですけれどもね。

宋先生、ありがとうございました。

今回の対談で紹介した書籍

ホモ・デウス : テクノロジーとサピエンスの未来 / ユヴァル・ノア・ハラリ著 ; 柴田裕之訳

エンデの遺言 : 「根源からお金を問うこと」 / 河邑厚徳, グループ現代著